昨年、サントリー美術館が東京ミッドタウンに移転した。旧の赤坂見附のころは地の利が良いのでよく行った。しかし、狭隘な美術館であった。質、量ともに不満が残った。
今回も開館記念特別展『鳥獣戯画がやってきた!』も通常だったら行くか行かないか悩んだところだが、講演会「遊びと美術―鳥獣戯画をめぐって」の講師が佐野みどり教授であることからから講演会に応募、運よく当選して六本木へ出かけることとなった。
六本木駅から直通で行けるが、曲がりくねって上下があり、ガレリア3Fの美術館の入口へたどりつくまで神経を使う。
まずは開館記念特別展『鳥獣戯画がやってきた!』に入場。絵巻を鑑賞する。
「鳥獣戯画」(正しくは鳥獣人物戯画)はいまさら説明もいらないが、四大絵巻のひとつ。中学生のころは「鳥羽僧正」作となっており、そう暗記させられたが、現在は作者不明。
今回の展覧会は「鳥獣人物戯画」全四巻はもちろん、模本や断簡まで公開した、研究者にとっても大変貴重な展覧会である。
これらは、平安時代から鎌倉時代に、様々な筆者によって描かれたと考えられている。他の絵巻のように詞書がないために、テーマは何なのかということも分からない。誰が、何のために、何という絵師に描かせたのか、ということも分からない。
ところでこの展覧会にあわせて「美術手帖」11月号で「 特集 鳥獣人物戯画絵巻」という記事を特集しているので、事前に図書館で閲覧していく。
そのなかに、『10 インタビュー 高畑勲―傑作絵巻はいかにして生まれたのか』というコーナーがあり、高畑勲の1999年に開催された展覧会ことを思い出した。
ちなみに、高畑勲は、黒田日出男著『謎解き 伴大納言絵巻』に登場する。また、以下のメモに出てくる五味文彦著『絵巻で読む中世』(ちくま新書)を、最近再読した。
以下のメモは10年以上前のままである。あまり、当方のレベルもあがっていないが、世間の研究も進んでいないことがわかる。
■千葉市美術館 1999年
『絵巻物ーアニメの源流』高畑勲(スタジオオジブリ)企画 ~9/12 入場料800円 (みどりの窓口 640円)
【コメント】★★★ 千葉市美術館のポスターが貼り出ているが、ちょっと作り方に迫力がないので、行くつもりがなかったが、9月2日の日経新聞文化欄に『飽きない精彩な筆致』という紹介があったので、早速出かける。
歴史及び美術の教科書によく紹介されている、『信貴山縁起絵巻』、『伴大納言絵巻』については、拡大カラー写真がパネルとなり、展示台の上部に貼られ、人物を子細に観察出来るようになっている。また、映画技法から見た絵巻物の分析も楽しめるようになっている。
その他の絵巻物も初めて見るものばかりだが、本当に絵がうまく、人物表情、動作が、筆で巧みに描かれ、空間の処理の卓抜性、場面転換の意外性など感心することが多かった。
現代人が、漫画が好きで、日本のアニメがサブカルチャーながら世界で高い評価を受けるのも、絵巻物、絵本と云うところにルーツがあるのかも知れない。
今回の展覧会では、絵巻物を何に使ったかが良くわからなかった。 仏教関係は、奉納、布教に使ったであろうということは推定できるが、『伴大納言絵巻』など、宇治拾遺物語を絵巻にしてどのように使ったか、愉しんだか不明。また、『福富草子』も出品されていたが、放屁で長者のなった男とその真似をして貴紳の前でして失敗してお漏らしして、散々に打 ちのめされた男の話などあまりに絵がリアル過ぎて、どんな感じでどんな人がどんな場所で見たのか、首を傾げるが、とにかく面白い。
【お薦めの逸品】 ★ 『伴大納言絵巻』(出光美術館 複製展示) 本物が出光美術館で展示される時はすぐ行くつもり。
★ 白隠筆『法具妖変之図(百鬼夜行図巻)』(金臺寺)
白隠禅師の生き生きとした妖怪画。法具は化け物。他を拠り所にするなと言う禅の精神か。禅師の著作から受けるイメージよりかなり闊達な感じで更に好きになった。
絵巻物について、どうもその使い方がきなるので、手元に ある書籍で調査してみた。 五味文彦著『絵巻で読む中世』(ちくま新書)から、関連記述をメモしてみ る。
(1)『年中行事絵巻』は後白河上皇の命令によって描かれた。
(2)『伴大納言絵巻』も後白河上皇の命令によって作成されて物と考えられる。
(3)『伴大納言絵巻』は、平清盛が後白河上皇ために造進した蓮華王院の宝蔵に納められていたらしい。
(4) 源頼朝が上洛した時のこと、後白河法皇は蓮華王院の宝物の絵を見せよう とした。収集した宝物を見せることで威に従わせようとしたのであろう。
(5)『信貴山縁起絵巻』は、既にある説話(『宇治拾遺物語』)を絵巻にしたものである。縁起を絵巻にしたものではない。
(6) のちに作成された多くの寺社縁起は、勧進を目的にしていた。
はっきりとこれだと云うことは書いてないが、どうやら貴紳は自分で観賞し、 その力を誇示するために保持し、寺院は勧進のために保持し、人々は寄進の代償 として観賞するしかけになっているらしい。