書籍・雑誌

2009年1月26日 (月)

『シュレディンガーの哲学する猫』

 『シュレディンガーの哲学する猫』(竹内薫+SANAMI著 徳間書店)という本を読む。

 そもそも「シュレディンガーの猫」というものが、よくわからないのだが、本を読んでもその辺の解説はない。ということは、「シュレディンガーの猫」というのは世間の常識ということかな。

 それに狂言回しみたいな部分に、楽屋落ちみたいな話があるので、そこもわかりにくい。

 それはさておき、この本を読んで目からうろこのことが多かった。

 其の一 ファイヤーベントという人を知ったこと。これは価値があった。彼の濫読の奨めも、楽しい。そこで、かれの『自伝』を読書中。

 これまた、痛快。

 其の二 小林秀雄の見方がちょっと変わったのと、『小林秀雄とベルグソン』という本を紹介してもらったこと。

 これから読んでみたいと考えている。

 哲学者紹介の部分なんか従来にはない良い本なんだが、なんだかつなぎの部分が当方には困惑するような人物や猫が出て来て、身内の話みたいような気がする。通の人にはたまらいのかな。

 最後に大森荘蔵が登場するのは良かった。しかし「略画」ばっかしの当方はどうなるの。

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2009年1月15日 (木)

石川文洋『四国八十八ヶ所』を読む

この本を読んだ理由は、お遍路さんに関心があったわけではなく、筆者が心筋梗塞に倒れても、それにめげずに、四国八十八ヶ所を完結させたところ。

 すぐにリハビリを始めた点が凄い。

 1日4キロの歩行。1600キロカロリーの摂取というのも感心した。

 みずから課題を設定して、効率よく達成しようとする人は、心臓病になり易いとも言われているが、また病気になるとキチンと対応するとも言われている。

 遍路の結果、44%の機能が62%になったことも驚きである。

 「壊死した心筋は治らないが、休んでいたほかの筋肉が働いているようです。」と述べているが、将来はヨーロッパ縦断徒歩の旅をしたいというのも、実現を期待したい。

 

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2009年1月 5日 (月)

「現代の畸人」リスト2 中島らも

 過日、駅前の古書店で中島らもの『牢屋でやせるダイエット』(青春文庫)を発見。懐かしさのあまり購入。

 中島らもは、かれの高校から大学への進学の情況になんとなく共感、一時面白くて濫読したことがあったが、飽きてそのまま。しばらくして、死亡記事が出た。その後ご無沙汰。

 読んでみると面白く、独特の気分を持った知性が感じられた。

 『教養とは、一人で時間を潰すことの出来る能力である。』

 という中島らもの言葉に再び痺れて、どんな感じの最後だったのかを知るために、2~3冊関連の本を読んでみた。

 本人が書いた『異人伝』は、割合客観的な視点から書いている自伝的随筆。ちょっと面白味に欠ける。自分のことを異人ととらえているが、偉人ではないという捻りか。ただ、異人(まれびと)かというと生き方そのものはそれほどでもないような気もする。しかし、天才であることは間違いない。そして破滅型の多才な人物であろう。

 鈴木創士の『烈伝』も史記の列伝のもじりだが、生き方が壮烈であると言いたいのであろう。

 あまり、中島らも個人を追及しないで、なにかあの時代の関西の青春とか芸術とかの同時代史になっている。

 奥さんの書いた『らも』は、さすがに生身の中島らもを家族関係も含めてよくとらえていると思う。今後、中島らもに関心を持つ人がいれば、この本から入るのだろう。まず読んでいて面白い。

 中島らもも当方の中では畸人の一人である。

 そういえば『教養とは、一人で時間を潰すことの出来る能力である。』という言葉にふさわしい畸人候補がいる。

 佐藤優の『獄中記』にぴったりの言葉である。

 

 

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2008年11月25日 (火)

須原一秀『自死という生き方』 を読む

 須原一秀の本は、3冊ほど以前に読んだ。題のつけ方が面白いうえに、はっとさせられる指摘がある。

 この本は、著者最後の著作。この本を書いて、自殺した。それにしては、人生を肯定的に捉えているし、論調も明るい。結構楽しめる分析による鋭い指摘もあるし、考えされることもある。

 著者の主張は、今後じっくり考えるとして、ちょっとしたメモ。

 ○ 伊丹十三 「たのしいうち死にたい」

 ○ 「人生の極み」というターム

 ○ キューブラー・ロスの理論とロスが「体の声」を聞かなかったことの失敗

 ○ ヌーランド『人間らしい生き方』(河出文庫)

 ○「私は宝籤を買って人生の逆転を狙うのは正しい人生のおくり方ではないと思う。と同時に、希少現象の「老衰死」を期待しながら人生を送るのも間違っていると思う。」

 ○「青年と壮年の読者に言いたい。こだわりを捨ててちょっと工夫すれば人生はなかなか良いものである。定年後も老後も、工夫しだいでなかなかのものである。そして、運と健康と工夫によって、その期間は相当に長いものになるかもしれない。しかし、その先は誰にも保証できない。」(著者は、その時はこの著書を参考にして欲しいと言っている。)

 ○虚無主義にも厭世主義にも関係ない「人生を肯定する自死」

 ○「罰系優位システム」をゆるめないと大きな喜びも楽しみも保証されない。

 最後は『雑感』で終わっている。

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2008年9月24日 (水)

『容疑者ケインズ』を読む

 ケインズに関する最近の評価が分かりやすく書かれている。久々にケインズ理論の本を読んで、目からウロコ状態となる。

 何故、こんなことが、過去には分からなかったのかとも思う。何でもかんでも、有効需要を創出すれば良いというのは終わったようだ。

 公共投資を見直すときであり、質が問われる。

 スティグリッツも言っていたが、イラク戦争で失ったものは多かった。有効需要は全く働いていない。

 十分に理解できたとはいえない状態だが、貨幣論と意思決定論は、ぼちぼちやっていこう。

 ケインズが投資の名人だったことは、昔から知っていたが、改めてこの本で指摘されると、ケインズのいう『株式投資=美人コンテスト』の意味が良くわかった。

 低金利政策は『年金生活者の安楽死』とも言ったようだが、この辺の掘り下げはないが、あの当時のイギリスの年金とは、今の公的年金制度は大分違うようだが、興味のあるところだ。

 過去の人であったケインズが『容疑者』とはいえ、議論の対象に登ることは愉快である。

 それにしても、題名のつけ方が上手い。

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2007年12月31日 (月)

村上隆「芸術起業論」をとりあえず読む

 久々に駅前の古書店に行くと、奥の棚に「芸術起業論」村上隆 幻冬社という本がおいてある。

 取り出して表紙をみると、まんまる銀縁めがねのあごひげの巨大アップの顔があり、

「村上隆 芸術 一作品、一億円で落札。(2006年サザビーズNY)すべての人(=アーティスト)は企業家である。
超ビジネス書 起業論」とかいてある。

 このナルシスな表紙ではとても買う気にはなれないが、中身をぺらぺらと読んでみると、ちょっと惹かれるものがあるが、値段に折り合いがつかず、文庫の棚へ。

 画集を見て、また戻って「芸術起業論」をとりだしてぺらぺら見る。面白い。 今度は小説の棚に行って見るが、どうもあの本が面白そうということになり、結局購入。

 それから、折みて時間みて読む。カバーを付けていないので、他の人には怪訝な顔をされる。
 それはさておき、一読した感想は、とにかく芸術の歴史、美術の歴史を本格的に研究しているということ。

 このまま、芸術学の教科書になるのではないかという印象を受けた。
 たとえばデュシャン触れて曰く。
「それが、『観念』や『概念』なのです。
これこそ価値の源泉でありブランドの本質であり、芸術作品の評価の理由にもなることなのです。」
  アンディー・ウォホールに触れて曰く。
「『西洋美術史の文脈を作成する技術』が圧倒的に違うのです」
 こういうことから始まって、チェックを入れた個所は30以上になった。集団制作、工房、パトロンの問題なども面白い。もっと探求してみたい。

 しかし恥ずかしながら、現代アートについては何も知らない。村上隆という人も始めて知った。これを契機に作品も見て、精読もしていきたい。
 

  

 

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2007年12月30日 (日)

「バート・マンロー スピードの神に恋した男」を読む

 以前「世界最速のインディアン」という映画を紹介したが、これはその原作。ノンフィクション、原作はジョージ・ベックというバイクレーサーに出場した人。

 1899年3月25日に生まれた。映画の感想では、心臓が悪いのに、バイクレースで世界最速に挑戦するのは、アングロ・サクソンに違いないようなことを書いたが、マンローは、スコットランド人の末裔。

 1962年に時速288kmの記録を作るが、1940年代から記録を残している。1949年に妻が愛想をつかして家を出て、それ以来最低の仕事をして、バイクの改造にいそしむ。

 マンローが心臓病に気がつくのは、1962年の記録を樹立したあとアメリカ滞在中。その後もレースに参加を続け、
ニトログリセリンを飲んで「いつか自分は爆発する」と冗談を言っていた。しかし、運動に心がけ、毎日6キロ、1時間の散歩を欠かさなかった。

 1977年 マンローは今までかかった病気と骨折をリストアップした。
 脳しんとう8回、骨折7回、1941年の脳出血、心臓発作5回、マラリア熱、天然痘、1948年、一時的な失明
その他驚くべき数の細かい病気。1977年4月に発作を起こして、5週間入院した。しかし、よく回復する。
 
 この本を読むと、とにかくバイクへの情熱に驚かさせられ、敬意を表せずにはいられない。また病気をものともしない姿には感動させられた。
 もうひとつ、現代技術の粋を集めていると思われるバイクの改造が、じつは手づくりでおこなわれている、とういう事実に驚いた。
 たしかに、町工場ではオンリーワンの金型は手で作っていたこを思い出す。それから量産ということになる。

 マンローにはものづくりの心がある。柴崎武彦のあとがきによればそれはいまでも行われいるようだ。考えてみれば、オートレースのエンジン調整もそうだ。

  マンローは1978年1月11日に死亡した。

 人間は草の葉のようなものだとマンローは人生哲学を語る。

 「若く、はつらつとした春、夏に成熟して、種をまき、秋に衰えを見せ、冬に亡くなるというわけだ」

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2007年12月23日 (日)

『親鸞をよむ』を読む

  著者は山折哲雄、宗教学者。著者は、頭で「読む」のではなく、からだで親鸞を「よむ」という。
 著書の感想というより、親鸞をめぐる雑感を述べてみる。
 もちろん『歎異抄』は何度も読んでいたが、最近はまた親鸞に接近し始めてのは、まず、「自力」と「他力」の問題。特に他力、ちょっとのことで自力に変化。他力のなかに自力が内在するのではという疑問。

 阿満利麿の一連の著作を読んで、清沢満之の存在を再認識し、曽我量深の知りるも用語が難解かつ自由自在でよく理解できず。それではと「教行信証」を覗いて、これまた引用されている経典が膨大で、難解というところで、足踏み状態。

 そこで出会ったのが『親鸞をよむ』。
 「教行信証」は、親鸞が書いた著書だからまず読むべきである、という主張はそのとおりではなかと思う。ただ、難しい。それで勢い、『歎異抄』に行ってしまうが、著者が述べているように『教行信証』と「歎異抄」における親鸞の考え方の差異を検討するということが必要であると思う。
 著者は、『歎異抄』と『教行信証』の論旨の差異を「可能態の悪」と「実現してしまった罪」という素晴らしい分析をしている。また「教行信証」では罪からの大展開として「善知識」と「懺悔」の二条件をクリアすることが必要だとされているとしている。
 となると「善知識」という仲介者の必要性、「懺悔」における世俗の倫理との関係と、「絶対他力」という原理的な問題との思弁がさらに必要となるのではないか。

 この著書を読んだ収穫は、今回書き下ろされた「恵信尼にきく」と題された第7章。
 親鸞の一生は、知っているようで知らない。いまでこそ、ありとあらゆる教科書に載っており、日本思想史最大の巨人といわれこともあるが、生身の親鸞がどのように生きてきたのかということを書いたものは、少ない。どのような経路で越後に流されたのか、東国に20年いたが、どのような生活をしていたのかもよくわからない。
 過日、親鸞と聖徳太子との関係に関心をもってちょっと調べてみると、その根拠になるのは恵信尼の手紙。
おぼろげながらも親鸞の生活の雰囲気を伝えるのが、恵信尼の手紙であると思うので、著者がこのことについて書いたのは、大変参考になる。恵信尼の生身の息遣いが聞こえてくるようである。親鸞の和讃についても、教えられることが多かった。実証的な仏教史でその存在も疑われたこともあるという親鸞。その言行を伝える『歎異抄』が流布、研究されたのが明治時代。恵信尼の文が発見されたのが、大正時代。その恵信尼の手紙に着目したこの著作が出たのが、ついこの間。となると親鸞の思想研究もこれからか。

最近はちょっとした親鸞ブームような気もする。吉本隆明の「最後の親鸞」が文庫本になり、よく売れるので雑誌で親鸞を巡って吉本隆明と著名人とのの対談が行われている。
 ただ、糸井重里との対談(「ジッポウ3 2007・秋 21世紀のブディストマガジン」)、中沢新一との対談(「中央公論 2008年1月号」吉本×中沢新一「『最後の親鸞』から、はじまりの宗教へ」)が行われていますが、大体、特に後半は、糸井だの中沢などが良くしゃべり、吉本は相槌を打つ程度。

 いずれしろ、ないものねだりかも知れないが、真宗学の門外漢がわかるような『教行信証』の解釈本のがあればと思う。

 

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2007年12月22日 (土)

木村蒹葭堂のサロン

 

 11月18日の日経新聞『美の美』に「大阪画壇の軌跡」という特集記事が載り、中村真一郎の『木村蒹葭堂のサロン』や芥川龍之介の『僻見』のことが出ていた。
 これもなにかの縁と、まず『僻見』を読み、再度『木村蒹葭堂のサロン』に挑戦をはじめ、約1カ月かかったが読了。

 最初は漢文の読み下し、漢詩が解らないのでどうなくことかと思ったが、漢文入門だの大学受験の参考書を見ながら読んでいるうちに慣れてきたが、慣れた頃には、お終いとなった。
 とにかく江戸漢詩はまったくわからない。特に詩情というのか湧いてこない。とろが、俳句が出てくると良く共感できる。中村真一郎は、漢詩がこの時代の主流文芸のように言っているが、200年後の今、現代人が漢詩が解らなったことも同時に嘆いている。
 

 木村蒹葭堂のサロンに出入りする画家についての評価は今後の勉強の参考にったし、近代現代美術史家の木村蒹葭堂に対する評価の変遷も大変興味深いものだった。
 日経新聞、吉田俊宏記者の「江戸後期の大阪画壇を代表する木村蒹葭堂」という評価を中村真一郎が読むことが出来たら大変喜んだだろう。

 中村真一郎の評伝の方法論も、学問的専門家以外の研究の方法として参考になった。
 この方法だと、だんだん読者がサロンの一員になっていくので、読了したときはほっとするとともに、木村蒹葭堂のサロンの人びとと、もう会えないのかと思うと寂寥感が湧いてくる。
 プルーストの『失われた時を求めて』の読後感に通じるところがある。
 
 たぶん『蛎崎波響の生涯』もそうだろうが、中村真一郎の個人生活や、家系や、病気のことが出てくるので、中村真一郎個人に関心を持ち、自伝か、本人に対する評伝を探したがない。 

 ただ、本人が日経新聞の「私の履歴書」に加筆した『すべての人は過ぎて行く』という随筆があった。(ネットで調べてみると『愛と美と文学-わが回想-』(岩波新書)いう自伝もあるようだ。)
 読んでみると、大変華麗で多彩な才能をもっているとともに大変な病気を克服して、偉業を成し遂げた人ではないかと思う。
 

 また、師匠、先輩が 芥川龍之介、堀辰雄、立原道造などで、なんとなく親近感を持ったが、吉川幸次郎や渡辺一夫という碩学からも高い評価を受けているのは感心した。
 ただ、個人生活はいまひとつ良くわからない。誰かが中村真一郎の評伝を書くにしても、日本の古典文学、中国文学、江戸漢詩、フランス文学、演劇、病理学などなどに精通した『百科全書』的な評論家でなければ無理ではないか。

 それはさておき、木村蒹葭堂の生きた時代は「地的世界と快楽の世界が稀に見るほど融合した幸福な時代」と中村真一郎は言っている。
 江戸時代の知的なネットワークについては、中村真一郎の他にも 田中優子が『江戸はネットワーク』、高橋博巳『京都芸苑ネットワーク』という著書があり、それを読むと実に多彩なネットワーク、「連」が江戸、京都、大阪にあったことがわかかる。ただ、この2書では、町人富裕層、ブルジョア、町衆の動きが良く見えないが、『木村蒹葭堂のサロン』では、木村蒹葭堂そのものが町人富裕層だから、その思考、行動が良くわかる。(これは、本阿弥光悦、尾形光琳にも通じるのではないかと思っている。)
  江戸の芸術家の陰には、パトロンが必ずいるわけだが、なかなかそこまで踏み込んだ評論、評伝は少ないのではないか。

 いずれにしても、当面『木村蒹葭堂のサロン』に登場した江戸後期の画家たちをおさらいして、東北、北海道に関心が深まったら、『蛎崎波響の生涯』にいずれ挑戦してみようかと思っている。

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