11月18日の日経新聞『美の美』に「大阪画壇の軌跡」という特集記事が載り、中村真一郎の『木村蒹葭堂のサロン』や芥川龍之介の『僻見』のことが出ていた。
これもなにかの縁と、まず『僻見』を読み、再度『木村蒹葭堂のサロン』に挑戦をはじめ、約1カ月かかったが読了。
最初は漢文の読み下し、漢詩が解らないのでどうなくことかと思ったが、漢文入門だの大学受験の参考書を見ながら読んでいるうちに慣れてきたが、慣れた頃には、お終いとなった。
とにかく江戸漢詩はまったくわからない。特に詩情というのか湧いてこない。とろが、俳句が出てくると良く共感できる。中村真一郎は、漢詩がこの時代の主流文芸のように言っているが、200年後の今、現代人が漢詩が解らなったことも同時に嘆いている。
木村蒹葭堂のサロンに出入りする画家についての評価は今後の勉強の参考にったし、近代現代美術史家の木村蒹葭堂に対する評価の変遷も大変興味深いものだった。
日経新聞、吉田俊宏記者の「江戸後期の大阪画壇を代表する木村蒹葭堂」という評価を中村真一郎が読むことが出来たら大変喜んだだろう。
中村真一郎の評伝の方法論も、学問的専門家以外の研究の方法として参考になった。
この方法だと、だんだん読者がサロンの一員になっていくので、読了したときはほっとするとともに、木村蒹葭堂のサロンの人びとと、もう会えないのかと思うと寂寥感が湧いてくる。
プルーストの『失われた時を求めて』の読後感に通じるところがある。
たぶん『蛎崎波響の生涯』もそうだろうが、中村真一郎の個人生活や、家系や、病気のことが出てくるので、中村真一郎個人に関心を持ち、自伝か、本人に対する評伝を探したがない。
ただ、本人が日経新聞の「私の履歴書」に加筆した『すべての人は過ぎて行く』という随筆があった。(ネットで調べてみると『愛と美と文学-わが回想-』(岩波新書)いう自伝もあるようだ。)
読んでみると、大変華麗で多彩な才能をもっているとともに大変な病気を克服して、偉業を成し遂げた人ではないかと思う。
また、師匠、先輩が 芥川龍之介、堀辰雄、立原道造などで、なんとなく親近感を持ったが、吉川幸次郎や渡辺一夫という碩学からも高い評価を受けているのは感心した。
ただ、個人生活はいまひとつ良くわからない。誰かが中村真一郎の評伝を書くにしても、日本の古典文学、中国文学、江戸漢詩、フランス文学、演劇、病理学などなどに精通した『百科全書』的な評論家でなければ無理ではないか。
それはさておき、木村蒹葭堂の生きた時代は「地的世界と快楽の世界が稀に見るほど融合した幸福な時代」と中村真一郎は言っている。
江戸時代の知的なネットワークについては、中村真一郎の他にも 田中優子が『江戸はネットワーク』、高橋博巳『京都芸苑ネットワーク』という著書があり、それを読むと実に多彩なネットワーク、「連」が江戸、京都、大阪にあったことがわかかる。ただ、この2書では、町人富裕層、ブルジョア、町衆の動きが良く見えないが、『木村蒹葭堂のサロン』では、木村蒹葭堂そのものが町人富裕層だから、その思考、行動が良くわかる。(これは、本阿弥光悦、尾形光琳にも通じるのではないかと思っている。)
江戸の芸術家の陰には、パトロンが必ずいるわけだが、なかなかそこまで踏み込んだ評論、評伝は少ないのではないか。
いずれにしても、当面『木村蒹葭堂のサロン』に登場した江戸後期の画家たちをおさらいして、東北、北海道に関心が深まったら、『蛎崎波響の生涯』にいずれ挑戦してみようかと思っている。