京都国立博物館『狩野永徳展』へ。それも初日。
今回は初めての永徳の回顧展。知る限るでは永徳の作品は安土桃山城が焼けて大部分が失われたとされ、残った作品にもいろいろ議論がある。
永徳と確定できるのは、ごく少数とされているが、今回は比較的おおらかに、回顧展を開いている様子。館内の様子は『日曜美術』、『美の巨人たち』でも放送され、『芸術新潮』11月号で特集を組んでいる。
やはり今回の狙いは『上杉本 洛中洛外図屏風』。5,6年前、中世の京都、芸能、風俗に結構関心をもったが、そのとき行き当たったのが洛中洛外図屏風。中世から近世の京都の風俗が描かれており、じつに面白い。
そのなかでも上杉本は、その由来といい、絵の内容といい、数ある洛中洛外図の白眉といわれている。作者は永徳と言われているが、疑問を呈する人もいる。しかし、作者はだれでもこの屏風の価値は微動だにしない。
この屏風の展示のまえに群がる人は、永徳の屏風だから
見ているのではなく、上杉本の洛中洛外図だから見ているのである。その証拠には、新発見と銘を打って『別冊 太陽 桃山絵画の美』に載せてみせたりした『洛外名所遊楽図屏風』の前にはだれもいない。屏風そのもののレベルが落ちるからだと思う。
上杉本には今後いつ会えるかもわからないうえ、米沢まで行くのも大変なので、押し競饅頭状態の中、2回ほど鑑賞する。
もうひとつ、永徳の傑作といえばカタログ・パンフレットの表紙にもなっている『唐獅子図屏風』(宮内庁)。豪放の一言につきる。そのうえ好きな画題なので、見惚れる。ただ、別の見方をすれば粗雑とも言える。
あと、国宝『檜図屏風』(東京国立博物館)。豪快、陰鬱でややグロテスクな屏風。もとは襖絵。だだ、この絵の作者を永徳とするには議論がある。
土居義次著『桃山障壁画の鑑賞』(昭和18年)によれば、『唐獅子図屏風』は永徳、『檜図屏風』は疑問ということであり、障壁画の作者の見極めはきわめて難しいとある。
ちなみに、あの有名な智積院にある長谷川等伯の『楓図』貼付は、土田杏村が等伯筆としたものであり、それまで寺伝では永徳としていた。
あらためて、帰ってからカタログを見てみると洛中洛外図と金碧大画の差を埋めていくものを研究していく必要があると感じた。
それは多分、障壁画や屏風の作り方、つまり個人の画家という概念ではなく、工房とか注文とかというものをもっと明らかにしていく、ということではないのか。
これは、長谷川等伯の変身のプロセスを追求するときも同じではないのかと思う。
次に平常展を見る。『密教図像の美』という特集では
[平安時代] 理趣経曼荼羅図像(親王院)
[鎌倉時代] ◎別尊雑記(仁和寺) ○胎蔵界外金剛部図像(当館) 四面四臂四足不動図像(当館) 伊舎那天図像(当館)などが展示されていたが、関心を引いたのは「別尊雑記」と「曼荼羅集 巻下」。
このなかでは、最近改めて西欧の図像学について勉強したので、「別尊雑記」、「曼荼羅集」などの仏教図像集に関心を持つ。
これも後日、「鳥獣戯画」をサントリー美術館へ見に行ったとき、役に立った。
次の室の特集『狩野元信とその周辺』では、[室町時代]耕作図屏風 元信印 松下渡唐天神像 元信筆(当館) ◎楼閣山水図 伝元信筆(金地院)四季山水図屏風 <☆車+罔☆>隠印、などが展示されているが、狩野元信の絵の渋さにも引かれるものを感じる。
また狩野元信の弟、雅楽頭の使用印とされる<☆車+罔☆>隠印のおされた「花鳥図」は秀逸。今後、研究してみる必要がある。
また、別室では『桃山期の大画面』の特集。
[桃山時代]
狩猟図 狩野山楽筆 耕作図 狩野山楽筆(以上当館)
山水図 狩野山楽筆(妙顕寺)を展示。
一日で永徳は当然として、元信、松栄、探幽、山楽と見たが、従来なら狩野派というだけで心理的に拒否してきたが、とりあえず日本美術史研究の一環として見直そういう気持ちになっている。
次は絵巻の室となっており、現在中世の絵巻に関心を持っているのでじっくり鑑賞する。
[室町時代]◎福富草紙(春浦院)◎百鬼夜行絵巻(真珠庵) ◎十二類絵巻 [桃山時代]◎牛図 俵屋宗達筆(頂妙寺)。
風俗の研究となりそうなのは、「福富草紙」である。
最後に、陶磁器のコーナーで志野のうち「志野織部(志野と織部ではなく織部の一種)」の『蔓草文台鉢』(桃山江戸17C)、「仁阿弥道八」作の煎茶碗を見る。
「東京の一年、京都の一日」の感あって、博物館をあとにして隣の豊国神社の「おもしろ市」という骨董市に行く。