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2008年11月

2008年11月29日 (土)

『小宇宙への情熱』美浦康重版画コレクション展

 当初は、平塚市美術館の『三岸好太郎』の展覧会に行くつもりで、東海道線に乗る。三岸好太郎は、以前から愛好するところ。札幌へ行くよりはと、今まで待って天気も良いので、出かけたが、生憎人身事故で、戸塚でストップ。

 やむなく、鎌倉散歩に方針を変更。例によって、北鎌倉から散歩。円覚寺の門前の紅葉は美しい。が、大勢の人が詰め掛けている。

 では、東慶寺でもと思っていると、いつの間にかとおり過ぎてしまった。切通しを越えて、神奈川県立近代美術館鎌倉別館の前へ。ここは昔から、閑静。

 しばらく、様子を見ていたが、日和崎尊夫と長谷川潔の名前と『ランボー』の顔のポスターに惹かれ入館。 『小宇宙への情熱』美浦康重版画コレクション展を鑑賞ということになった。

 客もまばらでじっくり見ることができる。版画で人が多かったら、目も当てられない。

 大半は柄澤齊という人の作品。この人のことは全く知らない。ただ、楽しい作品、共感できる作品が多い。

 『肖像』連作に登場する人物が、当方が関心を持っている芸術家が多いのが嬉しい。

 日本人は「上田秋成」、「泉鏡花」、「葛飾北斎」とあり、上田秋成を取り上げているのに感激。

 デューラー、ランボー、ボードレール、クラナッハ、グリューネヴァルト、ゴヤ、シーレとくれば、なるほど、なるほどとなる。

 しかし、浅学にして「セーヘルス」と「メリヨン」を知らず、帰宅してから勉強。やはり、畸とか狂、貧の絡む人らしい。

  木口木版の凝縮された世界、『小宇宙』から外に出ると、穏やかな日和の鎌倉の空があった。

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2008年11月25日 (火)

須原一秀『自死という生き方』 を読む

 須原一秀の本は、3冊ほど以前に読んだ。題のつけ方が面白いうえに、はっとさせられる指摘がある。

 この本は、著者最後の著作。この本を書いて、自殺した。それにしては、人生を肯定的に捉えているし、論調も明るい。結構楽しめる分析による鋭い指摘もあるし、考えされることもある。

 著者の主張は、今後じっくり考えるとして、ちょっとしたメモ。

 ○ 伊丹十三 「たのしいうち死にたい」

 ○ 「人生の極み」というターム

 ○ キューブラー・ロスの理論とロスが「体の声」を聞かなかったことの失敗

 ○ ヌーランド『人間らしい生き方』(河出文庫)

 ○「私は宝籤を買って人生の逆転を狙うのは正しい人生のおくり方ではないと思う。と同時に、希少現象の「老衰死」を期待しながら人生を送るのも間違っていると思う。」

 ○「青年と壮年の読者に言いたい。こだわりを捨ててちょっと工夫すれば人生はなかなか良いものである。定年後も老後も、工夫しだいでなかなかのものである。そして、運と健康と工夫によって、その期間は相当に長いものになるかもしれない。しかし、その先は誰にも保証できない。」(著者は、その時はこの著書を参考にして欲しいと言っている。)

 ○虚無主義にも厭世主義にも関係ない「人生を肯定する自死」

 ○「罰系優位システム」をゆるめないと大きな喜びも楽しみも保証されない。

 最後は『雑感』で終わっている。

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2008年11月23日 (日)

鉄道連隊

 千葉の歴史とは無縁かと思っていたら、千葉は鉄道連隊と縁が深い。

 千葉公園が第一連隊の跡ということは以前から知っていたが、最近、市の郷土博物館の発行している『千葉いまむかし』に鈴木淳東大教授の講演記録が載ってことを偶然知り、読んでみる。

 千葉経済大学の構内にも材料廠が残っていることを、講座のはじめに紹介され、現在は大学の倉庫として使われていることも知った。

 千葉における鉄道連隊の活動は、鈴木教授も言っているように、なかなか面白いし、現に遺跡も、練習線のあとも現在も使われているので、なるほどと思うことも多い。

 ただ、講演は日中戦争期以降は簡単に終わっているので、ちょっと、各鉄道連隊毎の転戦先がよくわからなかった。

 そこで、新人物往来社戦史室/編 『日本陸軍兵科連隊』という本を読むと、第一連隊は天津、上海、漢口を移駐し、終戦は湖南省株洲で迎えたことがわかる。

 ちょっと飛躍だが、中世でも現近代史でも政治にからむものは、研究する人が少ないので、研究書も少ない、という感想をもった。

 

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2008年11月14日 (金)

山本周五郎の『八百長』観

 山本周五郎の『雨のみちのく・独居のたのしみ』というエッセイ集に、いまなにかと話題の八百長についての1章がある。

 その題も『八百長について』ということだが、成熟した大人の八百長観が書かれている。

 「私は八百長を礼賛するものではありません。そんなことはないほうがよりよいのはたしかであるが、勝負事はいわば人生のぜいたくであって、生産とか、建設とか、開拓などという活動とは対照的な、優雅なあそびではありませんか。」

 さすがに山本周五郎のゆとりのある見方がある。

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2008年11月 6日 (木)

将門の闘い

 『歴史講座』で『将門記』の講義を受ける。

 講義のなかで興味を引かれたことは、将門の闘いは、川のなかでの葦を掻き分け掻き分けの闘いが中心であったようだ。

 とにかく、氾濫しやすい川のある平地の中で争ったようだ。

 もう一つは、結構京都に行くのにあまり時間が、かかっていない。東山道を10日ぐらいという話だが、この辺は検証が必要だとおもう。

 

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2008年11月 5日 (水)

高橋睦郎『あそぶ日本』を読む

 「遊びの究極は何だろうか。純粋な意味での学問ではないだろうか?」

 著者のこの言葉に共感した。

 このあと、宣長と秋成の対決に触れるが、「当時の国学の滔滔たる流れの中で見れば、宣長に対する秋成のありようは、巨象に吠えかかる痩犬のようにみえたであろう。しかし、二百年を経た現在からの遠近法で見れば、かえって巨象は虚像、痩犬は痩犬のまま潔い実像と見えなくもない。」と述べている。

 秋成の「血かたびら」の一篇によって「物まなびの遊びとしての無償性は、辛うじて保証されるのではあるまいか。」と、秋成贔屓にはうれしい言葉もある。

 楽しく読める一冊である。

 

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2008年11月 3日 (月)

戸田茂睡とは その2

 戸田茂睡について森銑三は、次のように言っている。

「隠逸伝中の人々には、前期の元政上人、後期の売茶翁その他、さすがに京都には、京都らしい人々がある。江戸はというと、隠家茂睡など、自ら隠者を売物としている形で、そこに臭みの感じられるものがあっ、私などにはありがたくない。」(森銑三著作集第12巻『人物雑稿』)

 『御当代記』のあの詳細な人事記録を読めば、そう思うだろうな。

 

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